info にて お知らせして行きます、どうぞよろしく。(2025 Arp,6)
⭕️1986年から2023年4月に閉じた双ギャラリー内での活動は39年間でした。写真&コンテンポラリーとするジャンル、Sound Encounterと名付けた身体を伴う即興演奏行為、作家らとのコラボ作品行為の一部分を見られるようにしたのですが完成に至らず、それが何なのかに向けて。コンテンポラリー画廊が少ないのもあり、新しいものを造り出す場が経済優先で掻き消えてしまっていたのかも。30年以上経って客観的に、それ以前から続けて来ていた “新しさ” を繋げて行かねばと、何があったのかその動機ですが、1974年10月の四谷上智大学講堂での最初のGAPのコンサートからなのですが、当時の全体の状況は簡単に説明できないです。しかしそれが決定的で今も消えなく、今も変わらない。その部分はこの中にあり、不完全は完全で部分は全体でもある。何度でも改め書き直して行きます。
🟣新型ウイルスから5年、一度終わってしまった家からの風景天空が、突然現れて見せてくれるようになった不思議に理屈も何も無い、一眼レフカメラは手にしなくなり携帯カメラでその場を撮れと言われたように撮るのが中心になって撮るとか傑作もない。それが何なのか即興音になる説明は見えないこと、話せないこと。それが50年前の続きなのですが、当時評論家がプロとアマチュアを言われたけれど、今も変わらない。
歴史の延長線上に有るか無いかだけではない。どうそれを呼ぼうか、それをアレ・コレだと指で指し表す事がパフォーマンスの根源になるのかも。複雑なものは単純で、答えは一つではない何が本当で嘘なのか、そんなものは無いのかもです。家からの西北の向き、天空風景にとうとう辿り着いて、その前4年間の弘法山の中の同じコースを節気に合わせて撮りを繰り返す微妙さ、家に戻りそれに即興音を合わせたもの九十六回。
その背後にある自然というものと境目がないから話は解り難いのです。ここ最近若者たちに出会い、この弘法山の上に登りながら音を聞く、慣れてしまえば何でも無いけれど実際は、昔の人が5日ごとに自然の変化を節気として分けている知恵が、何故必要でどう生まれたのか身体の不思議。左と右の足で立って歩く、体が触れる感覚を覚え、それらを鍛えるバランスの微妙さ。五感の開発をするほど深く環境とは何かを、捉え鍛える。全体は部分で、部分は全体だと言うことを無意識にいつも起こしているという。当たり前ですが、ここはもの凄くミクロの細胞部分からの働きを徹底して積み重ねては、感性を磨くことから覚えるとしか言えない。
SOUND ENCOUNTER 写真 & 即興音 2025
