⭕️ 1986年9月 JR吉祥寺駅南口にあった 双ギャラリーにて、 “サウンドインスタレーション  70年代・環境/即興/音楽  その無名性の展開”  グループ展に参加、その前の12年のGAPの活動が切っ掛けとなったもの。そこから現代美術画廊での即興演奏が始まっている。美術作家らの作品と自然素材・写真&即興演奏で原点を立ち上げる。その1993年から名付けたSound Encounterがあり、ここに来て浮んで来たのは「最終音楽」。言葉以前を説明しても不完全ですが即興行為の中で音楽以前の根源の素、弱さで強さを立ち上げる波動を自在に使う。

⭕️ 1986年9月 JR吉祥寺駅南口にあった 双ギャラリーにて、 “サウンドインスタレーション 70年代・環境/即興/音楽 その無名性の展開” グループ展に参加、その前の12年のGAPの活動が切っ掛けとなったもの。そこから現代美術画廊での即興演奏が始まっている。美術作家らの作品と自然素材・写真&即興演奏で原点を立ち上げる。その1993年から名付けたSound Encounterがあり、ここに来て浮んで来たのは「最終音楽」。言葉以前を説明しても不完全ですが即興行為の中で音楽以前の根源の素、弱さで強さを立ち上げる波動を自在に使う。

🔺info にて 不完全です。ここまで不完全で改めようと思っていたのですが、不完全なものがそのまま完全でもあるようなものが、実際普通にある。纏めようとするその時々のことと思ったのですが、そんな場合ではないと思い立ちました。環境の前には場があった。しかしそれは何とするのか? 一見矛盾しているように見えるこれらの不完全さを、それについて何故こうも言おうとすると、長くなる喩え話でしかないのか、文才がないのです。あれば良いのか単純にそれでは音楽は、音があって生きられて表す事もないのかもと現実は本当は微妙なのです。その根源的経験から生かされて来てふりかえって見ると、現し見られいは、気付かされてから即興的演奏ピークが私にもあり、それが70年代末に一度止めたのに、その後地方に出て雪の中での「田遊び神事」を見ていたら音は生きている感覚を得て、その狭間のズレが具体的で、その煙と空気がある環境の場があっての中でそれが生ずる。それが生きている音でもあって、消えて生じる時間的な軸だけでは無かった。その場の中での物とのズレを組み合わせて造って興す祭り、満月が出て陽が登るまで鳥帽子の左右に印をつけて繰り広げる皮肉さ演じて、即興の中で造って見せる。即興はパフォーマンスとも言うのか、その狭間に何があるのか見えないのか、まだ見えていない。最近は、その最中に覚醒し始めることがあったり同じ境地を見るのは最終的なものかも知れない。音楽との境目にあるもので、音楽ではない最終音楽のようなものなのです。それが根源の環境に繋がる部分で世界になる。

経験の中で感じ出会ったことを書き留めようとしたもので、形にしたもので、最終的に完全に繋がるのかもしれない。それが何故不完全で申し訳になるのかですが、最終美術が美学校でやっていたことは何だったのでしょうか。音楽教場生がプサイの部屋に入った時に特別なものは一つもなく、それ以外のその下で生きている猫ですら普通にしているのに驚いたのですが、何が本当で嘘なのか経験がないのでその時は見えなかった。普通なのであり何も特別では無いものです。その謎はそこから始まって51年間変わらない、凄い事と素晴らしい事は疑った事が一度も無かったけれど、実は現実はそうでは無かった。結局それには概念とはいえ悟りと思い込み(我儘)の結界は見えてなく複雑は単純で、本当は嘘で、表も裏も無い物は無いまま、現実の環境があって全部は見た人はいない。それぞれの環境が一つになったら何も無くて、部分がそのまま全体でうつりゆく風景のようなものは飽きる事がない。解らないものは素晴らしい。ハイはイイエでもあり、使い分けるでもない繋げる方法は誰も教えられない。便利で簡単な時代-極端でチグハグで顔なしムジナ。不完全でしか見えない部分は実はそうではないという・・。1993年からのSound Encounterを次の最終的なもの「最終音楽」です(2026年5月2日) 引き続きこれを書き改める作業中です。

🟡 1986年から2023年4月までの39年間の事、双ギャラリー内での活動は終了し既に3年が経過しました。写真&コンテンポラリーとするジャンル、Sound Encounterと名付けた身体を伴う即興演奏行為が音そのものに向かい始めたことは1993年「三つの拮抗する耳」からでした。その前年92年8月22日に清里現代美術館にて「忠正美の世界」と言う即興演奏会が開かれたのが舘が閉館した時にコンサートは一回だけでしたと聞いて驚いた。伊藤慎吾さんから、何度もその熱いアートに対する情熱を聞きましたが、冬の雪が切っ掛けで閉じたのは無念で残っています。そこが切っ掛けでオランダのアポロハウスを知り手紙を送ったら、直ぐやりましょうと94年5月に空写真とパフォーマンスSound Encounterを行い、デュッセルドルフ、マールカスティン、ミュンヘン芸術アカデミー、オーストリアのチロル現代美術協会でツアーとなりました。その前年には山口県防府にあるチャプチャプレコード末富さんのスペースで即興演奏をして、その時の録音が実は最新2年前にリリースされたと言うのも、なかなか理解され難いのかもです。この「新しい音楽」新しさとは何なのか? 本を読むのはハッキリと覚えている小学校2年の時に、どう言う意味なのかよく解らなく困ったその意味がです・・。クラッシック音楽の「新世界」ドボルザーク曲のレコードとか何とも作家らとのコラボ作品行為の一部分を見られるようにしたのですが完成に至らず、それが何なのかに向けて。コンテンポラリー画廊が少ないのもあり、新しいものを造り父が新しいスピーカーを買ってきて部屋の左右にスピーカーを置いて、聞いていたら、「お前に解るのか?」と言われた事が今も耳に残っていて、何が解るのだろうは今も変わらない記憶。障子紙を背にして今も覚えているのは、LPジャケットを斜めにするとその音が反射して、前から聞こえて来る事でした。学校の校舎は木造で階段が手前と向こうにあり、大きな音を発すると校舎を一回りして遅れて音が届くので遊んだ記憶。真っ暗な夜道を一気に走ると身体が浮いているような錯覚を遊んだり。とにかく子供の頃は遊ぶことに夢中でした。その環境は今は無いのかも、即興演奏はその延長にあるのかもです。今も良く解らない感性とかそれと周りの環境から造り出していたものがあると、昔から遥か遠いとしか言えないのですが、私の生まれた相模地方は春風にのって締め太鼓の音がテケスクテンテケ・・ふわふわ届いて来るのが不思議で、しかしそれ2キロくらい離れた神社の祭り太鼓なのです。東京オリンピックで町内は二分してしまい山車が出なくなって、その前の子供は見ては危ないと、路地から通りを大人たちが叩く祭り囃子の連打甲高さ、見られなくなったけれど、日本の祭りの中で音は突出しています。バリ島のジェゴクを見た時も驚きましたが、日本の音の驚きは文化とか言葉で保存とか、そんなことではない部分で引き継がれていたと思うのです。それを地方で知って、たとえば静岡の遠州最北の西浦の田楽を見たのが1982年だっか、とにかく観光になっていなくカメラを持っている人もいない中で雪降って朝まで観音様の祭り西洋のオペラと同質のものにびっくり驚いて寒さも忘れ、それから見回したら田遊び・田楽系を探して見て回ったのがその後のSound Encounter になっているのかもと思っています。その祭の場が1200年近く全く同じではないかと、信じられないですが、歴史とかアートも音楽も哲学も何なのだろうと、そして生まれた時代の中で何に向かってやるものなのかと若い人らが経験するべきです。どちらがどちらなのか、伝統を守るとか言うけれど、そこで二つに別かれてしまうのです。ここは大事で、素晴らしいもの文化伝統が消えないうちに守ろうと保存して守ろうとする。しかし、守ろうとするから変わってしまう、と話は出て来ない。どうだ凄い伝統だろうと? 特別なものになってしまう。たしかに素晴らしいのですが、何をそこでしているのかは追求しているようでどうだろうかです。たとえば相撲です国技だとも言われますが、昔の相撲は神事でした。その意味は簡単でそうは簡単ではない省略。守ろうとするから変わってしまうとは考えられてないのです。つまり中身です。ここからの話は経験しないと解らない部分です。誰も考えつかないとは言いません。私がオランダに一年滞在して観た物です。冬から春になる時期にブラバント地方ではカーニバルが行われる。イースター、キリストの復活祭の中で行われる物を出来るだけ観て廻りました。祭りは日本の方が凄いとか勝手な思い込みは完全に打つのめされました。これについて今もそのような話を聞いてないと言うか、全体がそうであることで続いてきた物の筈です。稀有な少数の考えなのか感性なのか? 生成AIさまに伺うといいのか、このところ慎重に向き合おうとしています。過去のことは完璧で肯定的に即座に返って来る。慎重に向き合おうとしているのですが、古いのかもです。長くなりどこからと言うべきか、それは複雑なものについてではなくてかなり単純なことなのです。しかしながら、歴史というのもそうですが、昔のことほど何も解らない。どうして縄文時代が一万年も続いたのかです。何も一つも残ってない知らないというのは、どう考えても私の感性では不思議を通り越していて、専門家、学者は何をしているのか細かいことばかりからの事だらけです。さて、オランダのカーニバルで何を観たのかですが、感じたのです。昔から行われている。アイントホーヘンにどうしてアイント音頭なるものは無いのかとか?あれば、その文化を観に来る観光客で経済が潤うのではとか、そんなものは必要ないのです。日本は何なのでしょうか? 祭が日本の素晴らしい宝だと観光客をか海外から呼ぼうとしている。日本中の祭りが、人々が見に出かけようとしたのは、あの1970年大阪万博からで、国鉄が宣伝を・・それまで実はない。関東地方北側南は厚木市の北あたりから「三匹獅子舞」を観て回っていた事があります。集落に入り隣の情報を聞こうとしたら、誰も何も知らなかった。また、これはこのように素晴らしいと話してしまうと、地元の人たちがそうなのだと本気になってしまう。それ以後、そのような話はしなく自分が見て学ぶことのみにした。さて、オランダでです。たとえば、この街で一番古い民衆のうちは何かとアーティストに聞いたところ、図書館に連れて行ってくれて、結局19世紀末にから20世紀に頃の音が出てきて、これが一番古いものですと。私が聞いたら、それは黒人のブルースという形式の唄です。オランダではないと言ったら、そんなことを考えた事がないと言うこと。これは意外と言うしかない。ドイツでも同じことを質問したら、モーツアルト、ベートーベン、ハイドン、だからそれは民衆のものではないのではで、200年? 現代音楽実験音楽をやっている者の中でも、あまり問題にもされてないようなのです。オランダではカーニバルのことを、自分たちはプロでありあれはアマチュアですと言っていたけれど。問題にはされないようです。さてです・・環境・文化が違うというのは簡単で私が引き継いで繋げようとしているものは歴史の延長に現代音楽でもないのかと思うべきなのか、そうではない経験をしたので、無意識の中にそれが生きているのかもしれないです。たとえば町の大きな広場で夏、レザー光線のコンサートが行われて広場は人で一杯、しかしです、舞台の前まで簡単に歩いて辿り着きました、肩と肩がぶつかったりしないのです。日本ではあり得ない。個人主義であると言うのは分かっていても言葉以上に人と接して悟りました。カーニバルの最中大きな広場にそれは大きなテントが張られて、中に1,000人入れ音響が最新の機械でスーザホーンもあるブラバント地方の幾つものプラスバンドが音楽を奏でる、それはポルカです。フンチャ・ブンチャ、何ともいい至高の響き軽快さに大勢の大人も子供もねそこで何が起きるのか、昔から多分変わらない。極まって来る演奏とどの人も体を上下にリズムに合わせて動かし合う、次には何だろう、前の人の肩に両手を差し伸べる、するとそれが自然にです。また前の人に繋がって連鎖していくとどんな情景になるのか想像してください。グジャグジャに皆が繋がって行く様は、地元では普通で何でもないのかも。それが何百人で、そしてです、次に起きることは前に進むのです。私にしたら感動を超えています。何でもないと言うのかも。それで。それでもっとやれと10分もしないうちに、それは自然書滅してしまう。何だと、日本ならもっと盛り上げる地元踊りになったら良いとかバカなことを考えるのですが。違った、それで、音楽ポルカの流れなのかではないのです。そして暫くすると、それはまた始まるのです。全員地元のブラバント州の人々。皆自分以外の人に変装している。地べたに足をハノ字に投げ出して座り、次の人も前の人にくっついて後ろにつながって、それがずっと後ろの方まで続いている。それで両手を後ろに広げて仰反るドミノのように、それで皆特別に自信たっぷり面白がるシーンが、あちこちで見かける。どうも伝統らしい。意味は解らないが、そのしてやったりとでも言うのか特別の儀式で踊りとかでもない、解らないから何度でも見たくなる。26年経ったのに今も、情景が浮かび上がる祭り、皆自分以外に仮装する。アートの根源ではと、それで次の日はドイツとの境にあるマースリヒトの町のカーニバルに行きました。一番驚いたのは、道端で数人のおじさんらが地べたに座って空き缶を前に置いて、ボロ服のコスチュームで「これがやりたかったんだと」そう言っていました。そうだよなと幸せな皮肉、3日目はパレードを見ました。つまり、私は伝統祭りは日本が最高などと馬鹿なことを信じ切っていたのですが、オランダで、(そのあとネパールでも「誰でも芸術家」を見た何かは次回)、見たものは、つまり伝統は守るものではなくて、そこで何度でも「素晴らしい物」は普遍で何度でも下りて来るものであり、それを今立ち上げる事だと言うのが結論です。日本ではどうか、どうしてか知らない昔の人が傑作な素晴らしさを造り上げた、しかも私の経験では完成されてなくで、いつも実は新しく造っている部分が見えないようにしてある。だから秩父夜祭の太鼓は舞台下で見せない、朝山車が出発すると夜帰って来る頃は皆名人だと古老が教えてくれた。隣の祭のになど誰も興味はなく、しかも地域は同じ囃子で競っている。明治20年頃、大阪の江州音頭を河内の人が真似をして、始めたのが河内音頭だったりしている例がある。奥三河の山の中、「花祭り」が知られたのは大正時代。名書「花祭り」の中に音に関して何も書かれてない。当たり前に分かっている常識も、何故普遍的ではないのかです。歴史もたしかに書かれた事実ですけれど、書かれなかったものが感覚感性で、それらの方が大きい影響を受けているそれらの狭間がいつもあり、いつも歴史と科学と経済が優先されて来ている。それが全体であるかのように信じるのは正しくないです。不完全なのです、パフォーマンスというのもつまりその狭間の行為を告げているものではと、数日前に78年に出た本が新たに。ローズリー・ゴールドバーグ『パフォーマンス・アートー未来派から現代まで』の新版新訳(深川雅文=監訳) 正しいのか間違いなのか、その狭間に芸術アートがあるのだと、私は即興演奏に向かって時間を使ってしまいました。部分ではありますが、「家からの風景」それは全体でもあるのだと気づいたのですが、続きを整理しています。/2026.0502

🟣新型ウイルスから6年、一度終わってしまった家からの風景天空が、突然現れて見せてくれるようになった不思議に理屈も何も無い、一眼レフカメラは手にしなくなり携帯カメラでその場を撮れと言われたように撮るのが続いています。それが50年前の続きなのですが、当時評論家がプロとアマチュアを言われたけれど、様々なことが一つに繋がってきているようです。

歴史の延長線上に有るか無いかではない。どうそれを呼ぼうか、それをアレ・コレだと指で指し表す事がパフォーマンスの根源になるのかも。複雑なものは単純で、その逆も答えは一つではない何が本当で嘘なのか、そんなものは無いのかもです。家からの西北の向き、天空風景にとうとう辿り着いて、その前4年間の弘法山の中の同じコースを節気に合わせて撮りを繰り返す変化の微妙さ、家に戻りそれに即興音を合わせたもの九十六回で、終わると同時に天空の風景が蘇ったは偶然な筈もない、何を見ていたのか、確かに空が変化して見るようなものは消えてしまったから七十二候Sound Encounet を始めている。

その背後にある自然というものと境目がないから話は解り難いのです。ここ最近若者たちに出会い、この弘法山の上に登りながら音を聞く、慣れてしまえば何でも無いけれど実際は、昔の人が5日ごとに自然の変化を節季として、二つのものを出会わせて測っていた知恵が、何故必要でどう生まれたのか。左と右の足で立って歩く、体が触れる感覚を覚え、それらを鍛えるバランスの微妙さ。五感の開発をするほど深く環境とは何かを、捉えて鍛える。全体は部分で、部分は全体だと。当たり前ですが、ここはもの凄くミクロの細胞部分からの働きを徹底して積み重ねては、感性を磨くことから学ぶとしか言えない。

SOUND ENCOUNTER 写真 & 即興 2025,April (横浜開港アンデパンダン展にて空写真と連日の即興演奏)